死生観とは?死を通して生を見る「死生観」を持っておくべき理由

死生観とは?死を通して生を見る「死生観」を持っておくべき理由

どんな人にも「死生観」は必要

「死」は誰にでも訪れるものです。

ですが、誰も「自分が」死ぬことなど普段から意識していません。

自分がどのように死に対して向き合うのか、その上でどのように生きていくことを選ぶのか、それがその人の「死生観」によって決まってきます。

つまり、誰もがいつか死ぬのですから、「死生観」は誰もが養うべきものということです。

がん患者さんにおいては、癌がまだ万人が確実に治る病気ではないことから、癌の告知によって突然「自分の現実」として死を意識せざるを得なくなります。これは本当に、とても辛いことです。

意識してからでも遅くありません。死生観を養いましょう。

怖い・不安を軽くするのが「死生観」

死を経験するのは誰でも初めてです。

どうなるのかわからないことは、不安で怖い。それは当たり前のことです。

それを何の心の準備もせず迎えるのは不安でいっぱいです。

そんな不安を軽減・払拭してくれるのが「死生観」です。

 

家族との死別(看取り)は死を深く認識し、死生観を養う機会となる

膵頭部癌だった母の場合は、最期の最期は、亡くなる5時間前から脈が弱くなり、亡くなる数分前の呼吸が止まりつつある間は息がしづらそうでしたが(ある文献によるとこの状態は苦しくないそうです)、痛みもなく(苦痛な顔はまったくしていなかったです)最後の息を吸い、すっと亡くなりました。

「あぁ、こうやって人は死ぬんだ」とわかれば怖さも少し減るものです(現実がわかると、「わからないから怖い」という不安が無くなります)が、目の前で看取る経験をする人は現代ではあまり多くはないと思います。だから怖くて当たり前なんです。心配しないでください。

死生観ってなに?

さぁ、死生観をしっかり持ちましょう。と言われても、死生観がなにかよくわからない状態では、先に進みませんよね。

まず「死生観」について簡単に説明します。

 

「死生観」

死生観とは、死を通して生き方、生き様を決める、判断する考えのことです。

死を前提に生き方を考えることで、死を意味づけることにもなります。

また、死や死後に自分の納得できる意味を持たせることで、自分の中で死を受け入れ、死への恐怖・畏れを払拭したり軽減したりすることができます。

辞書的な「死生観」

生きることと死ぬことについて、判断や行為の基盤となる考え方。生と死に対する見方。| デジタル大辞泉より

死あるいは生死に対する考え方。また,それに基づいた人生観。| 大辞林 第三版より

死生観を持っておくべき理由

死が怖い、死が不安だ・・・そんな気持ちのまま死ぬのは誰だって嫌だし、怖いです。

死に直面してからでも、直面する前にでも、死を自分の中で受け入れる体勢を作っておくだけで、不安感は軽くなるはずです。

すると、どのように生きたらいいのか、周りとどのように過ごしていくべきなのか、自分はどう在りたいのかが少しずつ見えるはずです。

死生観を持つタイミングはいつでもいいし、死生観が途中で変わってももちろんいいです。

ですが、出来るだけ早くに自分の中で確立できたほうが、残りの時間をたくさん楽しく笑って過ごせますよね。

そういった意味で、死生観を持つことは、大切なことです。

今、死について語り、生き方を考えることが「流行」になってきている

以前までは、西洋医学というものは延命をして、いかに長く生きるかに重点を置いてきましたが、
現在は西洋医学の限界が認識され、いかに生活の質(QOL)を高くして心地よく生きるかという「ホスピス(緩和ケア)」医療が注目されてきています。

ホスピスでは、Cure(治癒)よりもCare(ケア)と言われており、「症状」に焦点を当てるのではなく、「人」に焦点を当て、社会的側面や精神的側面も含めてケアしていこうという考えがあります。

つまり、よりよく生きるために死に対するケアも必要で、今まさに「死生観」が必要とされているということです。

本来、死生観は宗教が担っている

海外では死生観を宗教から得る人が大半です。

宗教は死を扱い、死や死後の意味づけを行い、宗教的な儀式を通して死を昇華します。

人格や行動も宗教の信仰に影響を受けているという人が日本に比べて圧倒的に多いとされています。

ですが、現代の日本では特定の宗教を持つ人は少なく(葬儀や婚礼、御参りなど、意識しないところで宗教の影響を受けてはいますが)、死と向き合い、対処するという術を持っていない人がほとんどです。

死生観を養うには

死と向き合い、認識を深める必要があります。

医師や看護師のように頻繁に死に触れる環境に身を置くというのはなかなか難しいですので、例えばそういった方の死生観の話を聞いたりするのもひとつです。

また、宗教の死生観を知ることや、自分の感覚に近い人の死生観の本を読んだりすることも手です。

なにも必ず、神や仏、霊や魂といった概念をもつ必要もなく、無神論や唯物論でもかまいません。大切なのは、「自分が納得できるかどうか」です。

まとめ

死生観はいずれ来る死のために、誰にとっても必要なものです。「癌だから」というわけではありません。

生きる心の支えになり、死の恐怖を和らげてくれることは、気持ちが前向きになり、QOLの向上にもつながります。

少しずつでかまいません、死生観を色々な人や本から吸収して、養いましょう。

できれば後日、各宗教の死生観に触れたいと思います。

参考サイト

死生観とは | コトバンク

医療を支える死生観――医師へのインタビュー調査を通じて―― | 橘尚美

宗教性と死に対する態度 | 丹下智香子

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2 件のコメント

  • 主人の最後の呼吸がずっと頭に残っていたので、少し安心しました。先日鎌倉に十三仏を参ってきました。
    先達様と共に経を唱え、それぞれの仏様の話を聞いて、少し自分なりに死を見つめる事が出来たように思います。
    故人といた時間を最後まで共有できたことで、死について子供たちも少しは考えれる人間になったと思います。

    • 森様
      追善供養されたのですね、ご主人もきっとそのお気持ちに喜ばれていると思います。
      お子さんたちには辛い経験となったとしても、皆で最後まで同じ時間を共有できたことは、必ずやプラスになるはずです。
      これからもご家族で話し合うことで、より生死に対する考えが深まると思いますので、お子さんのためはもちろん、ご自身のためにもぜひ機会を設けて話していってくださいね。

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