はじめまして。
このサイトを立ち上げるきっかけとなったのは、
2015年7月23日に、膵臓がんだった57歳の母を亡くしたことでした。
母が膵臓がんになったとき、どうすればいいか分かりませんでした。
時間がたってから、「もっとこうしておけば」と悔やむこともありました。
分からなかったのはなぜか?
それは簡単です。
患者・看護する人目線で書かれた、しっかりとした情報サイトが無いからです。
闘病、看病の真っ最中のときは、本当に時間がない。
だからこそ、ネットで知りたい情報をパッと手に入れたい。
なのに、そういうサイトが無いから、知りたい情報が入ってこない。分からない。
経験した人は知っているのに、情報を共有しないのは本当にもったいないことです。
私たちが経験したこと、集めた情報を発信することで
どうか当時の私たちと同じように悩む人、悔やむ人が少なくなってほしい。
それがこのサイトを作った理由です。
そして、私たちの尊敬する母が常にもっていた
膵臓がんになっても落ち込まないで、楽しく生きよう!という強い想い、素敵な考え方が
誰かの支えになればいいなと切に願っています。
私たちがまずやったこと
![authoricons2](https://i0.wp.com/okasanproject.com/wp-content/uploads/2015/10/authoricons2.png?resize=474%2C254&ssl=1)
私たちは、ぎゅっと年の詰まった仲の良い姉、妹、弟の3人兄弟です。
母の「膵臓がん」が分かってからは、とにかく情報を集めました。
はたして、「膵臓がん」とはなんなのか?
自分たちには何ができるのか?
今後どうなるのか、何が効くのか、どうしたら症状が楽になるのか・・・
ただ、どれだけ情報を集めても、どれだけお医者さんや薬剤師さんの話を聞いても、
がんを治すことに対して明確な答えはありません。
そう、薬でもなんでも、試すしか今がんには方法がないのです。
正しい情報なのかデタラメなのかさえ明確でない、わからないことだらけの中、
出てきた症状に合わせては調べ、対処するしか方法がありませんでした。
当時の母の状態
![「膵臓がん」とわかった時](https://i0.wp.com/okasanproject.com/wp-content/uploads/2015/10/jikeiretu11.png?resize=500%2C215&ssl=1)
膵臓がん(膵頭部癌)だと分かったのは、亡くなるつい8ヶ月前の2014年12月。
すでにステージⅣbという状態でしたが、
他の臓器に浸潤がなく奇跡的に手術ができたことで、
もし手術ができなければ2週間の命という可能性もあった中、
8ヶ月もの長い期間、生きることができました。
日々の変化
![手術・入院と退院](https://i0.wp.com/okasanproject.com/wp-content/uploads/2015/10/jikeiretu31.png?resize=500%2C215&ssl=1)
手術は12月25日、
8時間もかかる長い手術でしたが、それも無事乗り越え2月1日に退院となりました。
そこからは家で過ごし、週に1回の通院。
最初のうちは母も元気で、6月頃までは体力が落ちつつはありましたが、
運転や散歩も普通にできるくらいでした。
私たちも情報を集めては母と一緒に試す、の繰り返しでした。
ですが、大きな変化が現れたのは6月中旬から。
抗がん剤(TS-1)を使ってからでした。
![普通に生活できた頃と抗がん剤投与後体調悪化](https://i2.wp.com/okasanproject.com/wp-content/uploads/2015/10/jikeiretu8.png?resize=500%2C215&ssl=1)
母は座っている・横になっている時間が多くなり、
体重や体力はがくっと落ちてしまいました。
看護側の私たちも、出てくる症状の変化や看病で、
少しずつ時間と余裕が無くなり、新たな情報を得ることは難しくなりました。
情報を「探す」という気が遠くなるほど時間のかかることがもう出来なくなり、
そのときに持っていた知識のみで対処しなければならなくなったわけです。
「こうなることが分かっていたら、
もっと早くからこの状況でできることを探していたのに・・・」と、今でも思います。
7月21日には、母はもはや寝返りも打てなくなり、
全く動けない状態で予約していた緩和ケア病棟へ入院することになりました。
その3日後に母は亡くなってしまいましたが、緩和ケアに入っていた3日の間には
目からウロコなことが驚くほどたくさんありました。
たとえば看護師さんの痛みへの対処の仕方。
使う道具はとても簡単なものだったにも関わらず、
すぐにその痛みや辛さを解消することができていたのです。
「できることはこんな簡単なことだったのか・・・」そう後悔することのひとつでした。
ただ「知っていればいい」
「無知は罪」と言いますが、
病気に関しても、看病の方法についても、
これほどまでに「知らない」ということが怖いものかと痛感しました。
もっと早くから母を痛みや辛さから楽にしてあげる方法を知っていたら、
どんなによかったか―。
どうか、私たちと同じ思いをする人が増えないでほしい。
だからこそ、私たちのこの経験や、
そこで知り得た情報、もの、サービスといった知識を、
同じ境遇の方たち(患者さんやご家族)に早い段階から知っていてもらいたい、
患者さんの耐えている痛み・辛さを少しでも軽減してあげてほしい、
看護する家族にももっと楽になってほしい
・・・このような切なる想いがこのサイトに詰まっています。
多くの方からのご協力
また、私たちの経験から得た情報だけだと偏りが出てしまう、そう考え、
できる限り色々な方からお話を伺い、幅広くご紹介するようにしています。
ご協力いただいた方は、
看護師、薬剤師、ご自身がガンの方、大切な方を看病されていた方々です。
これからも多くの方から意見を伺い、より有益で充実したサイトにしていきたいと思っています。
最後に
私たちが当時驚き得た情報が誰でも知っている常識になり、
こんなサイトが要らなくなることが私たちの夢です。
些細なことでも構いません。ご意見・ご感想お待ちしております。
【膵臓がんでも幸せに楽しく生きる】~お母さんプロジェクト~
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