昨日(2016年7月23日)は、膵臓がんで亡くなった母の一周忌でした。
一年が経つのは本当に早いもので、闘病していた日々がつい先日のように思い出されます。
以前は母のことを思い出すときに、
「どうしてその時、自分はそれを選んだ・選ばなかったのか?」という考えになってしまっていました。
「こうしてあげたらよかった」「どうしてやらなかったんだろう」と思うことも、もちろんありました。
ですが、姉がたまたまお寺で見つけた言葉に答えがありました。
「後悔はするな。後悔する代わりに反省をしなさい」
私たちなりの解釈ではありますが、こういうことではないでしょうか。
過去の選択を変えることはできないし、今になってどんなに悔やんでも自分を責めても意味はない。
それに、今だからこそ冷静に物事を考えられていますが、その時の自分は精一杯考えて答えを出しているはず。
その答えがその時の最善だったんです。
後になって知ったことを、「その時に知っていれば」と思うのは、今だからこそ思えること。
過去の自分は頑張った、それは認めてあげてほしい。
だから、その答えが違ったと思うのであれば、ただ自分を責める「後悔」ではなく、次に活かす「反省」をすべきなのです。
母も当時言っていました。
「なんの治療法がいいかなんて、自分が分身して同時に試さないとわからないよね」
これは本当にその通りで、どの治療法を選んでも、全く同じ状態の人がいなければ(不可能ですが)結果は誰にもわかりません。
だから、「この治療法を選んだからダメだった、あっちの治療法をすればよかったんじゃないか?」という問題の正解は世界中の誰にももうわかりません。
わからないことなのに、責めてもどうしようもありませんよね。
7月3日に参加させていただいた膵臓がんカフェでも、私たちが感じたことと同じように感じている方がいると分かりました。
「今」できることの中で、自分が納得できる最善の答えを選べばいい、
仕方のないことであったならば、受け入れて、前を見て歩き出すしかない、そう私たちは思います。
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